こんにちは、山田です。
サザンオールスターズが『TSUNAMI』をリリースしてから今日で17年。そんなことを受け、何かの節目になればと思い急遽ブログを書いてるわけでございます。桑田佳祐のソロ活動についてのブログは書きましたが、もしかしたらサザンオールスターズについてのブログを書くのはこれが初めてとなります。緊張します。この曲に対する僕の想いも含ませながら、この曲について色々書いていこうと思います。



『TSUNAMI』について

TSUNAMI
2018-08-06







「サザンオールスターズといえば何?」そんな質問に皆さんは何と答えるのでしょうか。いとしのエリー?真夏の果実?希望の轍?経験Ⅱ?……まぁ人それぞれですが僕の人生において一番多かった答えが「TSUNAMI」でした。サザンオールスターズの代表曲であるのと同時に国民的な名曲ですよね。2000年にサザンオールスターズの44枚目のシングルとしてリリースされた『TSUNAMI』はなんと293.6万枚というメガヒットを叩き出し、桑田作品にとって最大売上を記録したわけでございます。CDシングル売上では歴代1位になりましたが昨年、SMAPの解散を受けファンが『世界に一つだけの花』を鬼のように買い占めたことで順位が変動。2位に落ちたもののこの記録的大ヒットは邦楽史に残る功績とも言えるでしょう。また「TSUNAMI」は20世紀最後となった第42回日本レコード大賞を受賞し桑田さんは「やっと(美空)ひばりさんの背中が見えました」というコメントを残しています。かなり大胆な発言にも思えますが、今のサザンオールスターズ及び桑田さんの立ち位置を思うとそこまで的外れな発言でもなかったようにも感じます。丁度その時に行われていたサザンオールスターズの年越しライブ『ゴン太君のつどい』では大トリを「TSUNAMI」が飾り、かなり感動的でしたよね(MCで桑田さんが受賞トロフィーを溶かしてお客さんに配るとかいう冗談を言ってたようn……あっ)。この曲が初解禁されたのが2000年の元旦だったので比喩ではなくまさに2000年という年はこの曲に染められた1年だったようにも思えます。


小林武史と低迷時代と『TSUNAMI』の制作まで

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「TSUNAMI」の大ヒットを語る上で面倒ではございますが時間軸を13年ほど巻き戻してみようと思います。1987年、桑田さんのソロ活動が始まった年ですが当時桑田さんに大きな影響を与えた人物として音楽プロデューサーの小林武史(以降コバタケ)の存在は欠かせないでしょう。Mr.Childrenの生みの親とも呼ばれ、彼が手がけた楽曲達は90年代に"ミスチル現象"を巻き起こし、当時猛威を振るっていた小室哲哉とイニシャルが同じだからという理由でTK時代なんて呼び方もされていたものです。まぁそこら辺の時代背景は置いておいて、とりあえず桑田佳祐×小林武史という最強タッグは桑田佳祐のソロファーストアルバム『Keisuke Kuwata』を完成させたかと思うと、サザン活動の方では「真夏の果実」「希望の轍」「涙のキッス」といった名曲達をポンポンポンポンと発表し、原由子のソロ活動ではアルバム『MOTHER』という名盤も生み出してしまうのです。しかし、そんな最強タッグは93年の「クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る) 」をもって終了してしまいます。「危ないヤツと分かった」というコバタケに対する桑田さんの発言はこれ以上ない褒め言葉かもしれませんね。ミュージシャンとして抜群の才能を発揮するコバタケに思わず頼りすぎていた現状に危機感を覚えた桑田さん自身が終止符を打ったというわけです。

ここで堕ちないのが桑田佳祐という男です。セルフプロデュースの時代に入り、発売したシングルはミリオンセラーを連発し、96年に出されたアルバム『Young Love』はサザンオールスターズのオリジナルアルバムで最も売れた作品となりました。しかし1997年からサザンはセールス的にも低迷の道を辿る事となってしまうのです。

低迷の理由はサザンオールスターズの急激な方向転換だと思われます。ライト層が持つサザンへのイメージ「夏」「海」とは程遠い『01MESSENGER〜電子狂の詩〜』『PARADISE』『BLUE HEAVEN』といった作品が連続してリリースされた事でファン離れが急増したと言います。98年にリリースされた『さくら』というオリジナルアルバムは 暗い作風でありハードロック、プログレを基調としたものだったのでセールス的にはミリオンを下回るものでした。現代の感覚からしたら充分な売り上げですが、当時のサザンからしたらかなり低めではありますよね。小林武史という才能を断ち切り、"原点回帰"を目標に創り上げた『Young Love』で全てを出し切った桑田さんはサザンオールスターズとして今何を作るべきかを暗中模索していたのでしょう。

こうした低迷時代とサザンオールスターズの20周年アニバーサリーが重なっていたのは幸いだったかもしれません。20周年アニバーサリーの一環として出されたベストアルバム『海のYeah!!』はバカ売れし、渚園で行われたワンマンライブでは"みんなのサザン"を堂々とやり遂げました。ただこのライブ時のインタビューで「勝手にシンドバッド」のような湘南系の楽曲はこのライブをもって封印するというコメントがあった為『さくら』を提げてのツアー『 Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)〜素敵な春の逢瀬〜』では宣言通り「勝手にシンドバッド」のような曲は封印され、マニアックでコアな楽曲中心にセトリが組まれました。このツアーの為に制作された43枚目のシングル『イエローマン〜星の王子様〜』は売り上げが10万枚を下回る結果となりサザンオールスターズの低迷を露呈させたといっても過言ではないでしょう。そんな楽曲が2008年の『真夏の大感謝祭』で発表されたサザンの楽曲ランキングで11位にランクインしているのは微笑ましい気もします(笑)

ライト層を置き去りという言い方には語弊がありますが、急激に方向転換した音楽活動を進めていたサザンオールスターズに転機が訪れたのは1999年のことです。この年、サザンオールスターズはファンクラブシークレットライブ『シークレットライブ'99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町 』を2日間、ライブハウスで行いました。ドームやスタジアムといった万単位での大規模なキャパを相手にしてきたサザンがキャパ1000人のライブハウスでライブを行ったのですからライブタイトル通りの事件です。過去の名曲から大ヒット曲まで、そして早くも封印が解かれた「勝手にシンドバッド」も歌われるという往年のサザンファンには堪らないライブとなっているのですが、このライブが桑田さんにとって衝撃となったといいます。小さな空間でファンと一体感をもってライブが出来たことで桑田さんにとっての音楽像を再建築する余裕ができたのだと思います。そしてこのライブの直後にサザンオールスターズは『TSUNAMI』の制作に取り掛かるのです。


『TSUNAMI』は不謹慎か?
"TSUNAMI論争"に終止符を
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2011年の3月11日に発生した東日本大震災で多くの地域が津波被害を受けたことで世情や被災者の感情に最大限配慮する必要があったためサザンオールスターズの『TSUNAMI』はテレビ、ラジオによる放送を当面自粛せざるをえない状況になりました。ただこういった日本社会がこの曲をタブーにしようとしている空気に危機を感じたジャーナリストの勝谷誠彦さんや上杉隆さんは「今の日本だからこそ必要な曲では?」と前置きし自身の番組で「TSUNAMI」のオンエアに踏み切りました。桑田さんは震災から1年後に自身のラジオでそれを知り「いつか(大震災の)悲しみの記憶が薄れてこの曲を歌ってくれという声があれば、復興の象徴として歌える日がきたらいいと思っている」と感謝と共にコメントする場面がありました。

ネット上では「TSUNAMI」に対して"不謹慎"、"桑田は被災者に土下座しろ"といった痛烈な罵声が飛び交う一方で"名曲に罪はない"、"11年前の曲に文句を言うな"という擁護する声があったりと賛否両論です。個人的に批判してる人の大半から漂うサザンを叩く口実が見つかり面白がってそこに漬け込んでる感が否めませんが、実際あの震災を受け「津波」というワードに嫌悪感を覚える方々もいらっしゃいますので決して軽く受け流せる問題でもないと思ってます。

まず「TSUNAMI」というタイトルがこの論争の火種ともなっているわけですが、なぜ「TSUNAMI」というタイトルになったのでしょうか。これは当時、ディレクターであった松元さんが制作段階の仮アイデアで用意していた「TSUNAMI」というものを桑田さんがそのまま採用してした事が原因です。   歌詞に"津波のような侘しさ"という一説がありますが、ビッグウェーブではなく敢えて津波と表現することで  とんでもない情緒感を表現できたと桑田さんは思ってるらしいです。このエピソードは最早凡人には理解できない次元の話なので深入りはしません……。

果たして「TSUNAMI」は不謹慎なのでしょうか。擁護側と批判側の2つの視点から物事を見てみます。「"TSUNAMI"が発売されたのは11年前でそんな曲を今更批判するのはただの結果論でありおかしい」という擁護側の視点。「2000年以前にも津波被害はあったのだから、災害用語をタイトルにするなんておかしい」という批判側の視点。どうでしょうか?立場を変えればこの論争が正論にも屁理屈にも聞こえてきませんか?僕は決して「TSUNAMI」をバンバン有線で流せと言ってるわけではありません。一方的に不謹慎と決めつけられ、あそこまで蔑ませれている現状に違和感を覚えているだけなのです。

当の本人である桑田さんは震災以降「TSUNAMI」を歌っていません。震災が発生した2011年はサザンが無期限活動休止の期間だったため、正確には2008年から歌われることがなくなっています。2013年にサザンオールスターズは復活しましたが、ツアーでも年越しライブでも「TSUNAMI」が歌われることはありませんでした。これは桑田さん本人が良心の呵責をもってこの一件を重く背負っているということの表れではないでしょうか。自身の最大のヒット作品を封印することはかなり勇気のいることだと思います。ネットで「桑田は被災地で土下座して詫びろ」や「反省しろ」といったコメントが好き勝手に書かれてることを桑田さん本人が把握しているかは不明ですが、桑田さんも桑田さんなりの懺悔をしていると思うのです。震災の直後にはアミューズを一つにした復興ソングをリリースし、半年後には被災地に飛びライブを行い、現在でもツアーは東北から始めたり、CDの売り上げの一部を被災地への義援金に回したりと、桑田さんは大震災をかなり重大に受け止めているのは言うまでもないでしょう。

気の毒と言ってしまえば気の毒なのです。『TSUNAMI』が出された当時に大きな批判が起こるでもなく、失恋を切なく歌ったラブソングに多くの人々が共感しCDがバカ売れ、レコード大賞を受賞してしまうほどの国民的な大ヒット曲として担がれた挙句、11年後に未曾有の大震災によって自粛に追いやられてしまうという一連の流れは気の毒としか言いようがありません。 果たして桑田さんだけが責められるべき事なのでしょうか。長々と書いてきましたが僕は20世紀のヒット曲を今になって一方的に不謹慎と蔑むのは如何なものかと考えています。



『TSUNAMI』のこれから
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サザンオールスターズの「TSUNAMI」
不思議な楽曲です。僕が覚えてないくらい昔からいつの間にかに身体に刷り込まれていた曲です。この曲との距離感が自分でもよく掴めてないため、このブログを書くのは少し手こずりました。サザンオールスターズが最後にライブで「TSUNAMI」を演奏したのが2008年の『真夏の大感謝祭』でのことです。あれから約10年。来年、サザンオールスターズはデビュー40周年を迎えるとだけあって「TSUNAMI」解禁を期待するファンの方も多いらしいです。うーん……僕はどうもそういう気持ちにはなれないのです。この楽曲の演奏に踏み込むのはサザン自身でありファンはそれを待つしかないのだと思います。たとえ今後、演奏されることがなくてもそれがサザンの出した答えとして受け止める覚悟でいます。名曲です。紛れもない名曲です。だからこそ胸が痛むのです。遣る瀬無い気持ちを少しでも紛らわすために今日はこんなブログを書いてみました。最後まで支離滅裂な内容になってしまい本当に申し訳ありません。(やまだ)

おわりに

「TSUNAMI」に関して最近ではこのようなエピソードがあります。東日本大震災を機に開設された宮城県女川市の臨時災害放送局「女川さいがいFM」が昨年の3月29日に閉局を迎え、その際に女川町長の須田善明さんが生出演されました。

「震災後、自粛を余儀なくされてきたが、待ち望んだ1曲。女川さいがいFM閉局のタイミングだからこそかけられる1曲。(中略)名曲がある。その曲に罪があるわけじゃない。歌い継がれ、語り継ぐことに意味があり、人々の心に届く。私からご紹介させていただきます。先日は、ご協力いただきありがとうございます。サザンオールスターズで『TSUNAMI』」 (須田善明町長より)